氷室先生for『親友宣言』その後です。

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恋の厄介モノ

  act.4 : ペルソナ



 人は、たくさんの仮面を付け替えて日々を暮らしているという。それは私とて例外ではない。
 教師としての仮面、友人の前での仮面、独りになりピアノを目の前にしているときだけ、仮面を付けずにいるのかもしれない。
 教師として大勢の生徒をみてきた。
 生徒たちは、未熟なりに今にも外れそうな仮面を付けて、学園生活を送っている。

 しかしあの生徒は違った。

 無邪気な、屈託のない表情。怯えるところもありながらも、真っ直ぐに私を見る瞳には、生命力があふれていた。
 まるで仮面をつけてないかのように、裏も表もないかのように私には映った。


 憧れたのかもしれない。
 私と正反対の彼女に。

 
 だから、耳を疑った。


 その桜色のくちびるからは、私の受け持ちの男子生徒の名前がこぼれた。
 波の音がやけに大きく聞こえたのは気のせいではないだろう。
 
 私はいつもと違った。
 何も言わずに去ってはいけない気がした。
 何かが変わってしまうくらいなら、どんな口実を使ってでも変わらなくこのままの方が居心地が良いだろうと思ったからだ。
 
 −−恋の相談なんてのれるわけがない。

 彼女の前では仮面をはずしているのにも等しいからだ。

 情けない限りだ。
 私は大人で、彼女は子供だ。
 なのに戸惑ってしまう。


「れ、零一……」

「なんだ?」

「ここは店なんだ。暗い曲より、ご機嫌な曲の方が良いんだけど?」

「暗い曲ではない。ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第8番ハ短調作品13『悲愴』だ。お前が何でも良いから弾けと言ったのだろう」

 益田は、肩をすくめた。

「いつもより機嫌が悪そうだから、ピアノを弾かせたんだぜ?」

「わ、私は機嫌など悪くない。断じて無い!」

 彼は、カクテルを一つ私によこすと

「気晴らしに、ご機嫌な曲頼むぜ?」

「無理だ」

 気など晴らすほど、私は塞いではない。

「……マルガリータ」

 益田は、カクテルを指差した。

「そのカクテルの名前な。由来は、彼女のことを忘れられないバーテンダーが、その彼女にちなんで作ったもだ」

 こちらを見透かしてるようなヤツだ
 益田は、にっと笑いながら

「バーテンダーはあきらめなかった」

 そう言って、カウンターへ返った。

 …………。

 私はそのカクテルを飲み干した。
 どうやら、独りのときだけでなく、ピアノを目の前にすると仮面を外れてしまうらしい。
 いや、あいつが仮面のこちらを見透かすのが上手いのか?

 『バーテンダーはあきらめなかった』 では、私もその仮面を付けて、彼女のそばにいよう。

 それから私は、ベートーヴェン『エリーゼのために』を、ジャズアレンジでテンポ良く弾いた。



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『悲愴』 は、3楽章全部弾いたんだと思います。とんだ迷惑です。
『悲愴』 は 『のだめカンタービレ』で有名ですね。第2楽章が。
『エリーゼのために』は、曲の由来を知ってると意味深かも。です。
カクテル 『マルガリータ』 の話は、半分嘘です。いやぁ、マスターが慰めるための、お茶目と言うことで。

以上。言い訳だ!

ヒムロッチの言い回しって難しいけど考えるの面白いね。です。